「あの……人手が足りなくて困ってるとのことでしたけど、お店ってどこにあるんですか?」
「悪いなぁ歩かせちまって」
ヴァニルシティよりも西寄り、ノートシティに近い小さな町に立ち寄ったときのこと。ポケモンセンターを探して歩いていた私は中年くらいの男性に声をかけられた。聞いてみればお店に注文した品が届いたは良いものの人手が足りなくて運び入れるのに苦労しているとのこと。お礼に今日の晩ご飯をご馳走していただけるということで、そのお手伝いをすることになった。
道中この町へ来るまで野生ポケモンをどうあしらってきたかだとか、ポケモンバトルは得意かどうかなんかを話しながら歩いてきたけれど、一向にお店にたどり着く気配がない。飲食店のある町の中心地から離れていっていることに気付いたのは、夕暮れの昏い日差しも遮られる路地の真ん中だった。
次に私が口を開きかけたその時、眼の前に火の玉が舞い上がる。
「ブランカ!?」
「ダストシュート!」
男性に向かって放たれた円を描く火の玉と毒々しい臭いの塊がぶつかり合い、火の粉とゴミの欠片が周囲に飛び散る。熱気と悪臭に顔を背けている間に、足元からブランカの激しい威嚇の唸り声が上がった。同じくして向かいで唸りを上げるのはブロロロームのエンジンとタイヤの回るような雄叫び。
「不意打ちたぁ油断も隙もねぇな! だがお前の手持ち的に俺のブロロロームにゃ敵わねえんじゃねえかな。ブロロローム、ホイールスピン!」
タイプ相性の絶望的に不利な相手に、ブランカは一歩も引く様子は無い。後ずさって勢いをつけたブロロロームのタイヤが急回転し、強烈な勢いでブランカに突っ込んでくる。ギャリギャリと耳障りな鋼の擦れる音を前に体がすくむ私の前でブランカは息を吸い込み、路地を揺るがす声の衝撃波でブロロロームを押し返す。数秒拮抗した力と力。しかし徐々にブロロロームの勢いが増してゆき、鋼の擦れる音がブランカに迫る。キンと糸の張るような大声が鈍い音に遮られる。
気付いたときには跳ね飛ばされたブランカの背に手を伸ばしていた。胸元に重い痛みがじわりと広がりながらも、無我夢中で腕の中の命を抱きしめていた。絶対に離してはいけないと。
「見ーつけた。防犯の基本その一、怖い目に遭ったら大声を上げること」
「っぶねぇ! 大丈夫か、お嬢ちゃん」
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全身を打ち付けるであろう痛みを覚悟してうずくまらせていた体を誰かの手に支えられる。固くつぶった目を恐る恐る開いてみると、妖しいほどに赤く眩しい夕日を背に二人の男女がブロロローム達と対峙していた。狭い路地の壁を軽快に跳ね、ブロロロームの横っ面を強烈に蹴りつけて押し戻す黒い影が目の前に降り立つ。ヘルガーだ。
「最近この辺で出てるっていうせこいポケモン泥棒あんたで間違いないね。さっさと終わらせて一杯引っ掛けたいのよこっちは」
「邪魔すんじゃねぇ! ……ふいうち!!」
「まもる」
不意に男性の背後に振り下ろされた黒い影の手が弾かれる。男性の影で守りを固めていたコータスの前に、ふいうちを外したゴーストの姿が現れた。恨めしげなゴーストの視線を背に受ける男性の表情は逆光で伺えない。しかしその声音には迷いのない意思を感じさせる。飄々としつつも気だるげな声音の女性はヘルガーと共にまっすぐ前を見据えていた。
「追いかけっこはおしまい。決めるよ、オーバーヒート」
「ちょっと熱さに気をつけな、ねっぷう!」
ごう、という音と共に熱波が路地を駆け抜ける。狭い路を焼き尽くす豪炎と熱風がゴーストとブロロロームを吹き飛ばした。鋼の体で火炎をモロに受け止めたブロロロームが背後の男性を巻き込んで路地の奥に伸びている。あの重たい体に下敷きになった男性は意識があったとしてもとても逃げられないことは間違いない。
「今回のは記憶飛んでないといいけど」
「そろそろパーッと派手に賭けに行きてーなー。幸運の女神サマが寂しがっちまう」
「あ、あの!」
緊張の糸が切れて抜けそうになる力を頑張って込めて、男性に支えられてもふらついてしまう情けない足で立ち上がる。声を上げてきょろきょろと二人のほうを見ると、緑と紫をした男性の瞳と目があった。真っ黒な目をした女性はこちらを軽く一瞥すると、ブロロローム達のほうへ足を進めていった。
「た、助けていただきありがとうございます……! ぇと、本当に、何とお礼を言ったらいいか……」
「いいってことよ、これが俺らの仕事なもんでね。アイツを引き渡すのにポケモンセンターまで来てもらっても?」
「は、はい! もちろんです。私のポケモンも治療してもらわないとですし……」
ずっと抱きしめたままでいたブランカをボールに戻して、路地の奥へ歩みだす。二人のポケモンであろうアリアドスの糸で捕縛されたポケモン泥棒を女性が引っ立たせて、沈む夕日を背に四人でポケモンセンターへと向かった――。
~
「――で、ですからお礼を……!」
「あたし達は賞金稼ぎなの。お分かり? 残念ながら子守りはやってないの、お嬢ちゃん」
「今回は青い輪付きの輩じゃなかったからな、たんまり儲けさせてもらったしよ」
「せめてお茶の一杯くらいはご馳走させてください……」
無事ポケモン泥棒を警察に引き渡した後のポケモンセンターの前。私と賞金稼ぎ二人組の押し問答が続いている。
ふぅん、と女性――ジャックさんは何か考えを巡らせるような表情で視線を泳がせる。少し演技がかったその仕草ののち、こちらに黒い瞳が向く。
「お茶ねえ。どうせなら喉が熱くなるようなのを一杯やりたいとこだけど」
「淹れたてのお茶は美味しいですけど、やけどしてしまいませんか?」
「酒の味も知らない子犬ちゃんはホットのモーモーミルクがお似合いってコト」
ひらりと振られたジャックさんの手のひらの思うままに翻弄されては撃沈してしまう。さすが勝負を生業にする賞金稼ぎ、一歩も引かなければ押されもしない態度の強さに屈してしまいそうになる。けれどここは私の勝負どころでもある。二人は私と、私を守るために戦ってくれたブランカの恩人なのだから。
「じゃ、じゃあ、その、明日の朝お二人はこの町を発つんですよね。だったらその時お礼をお渡しさせてください。お手間は取らせませんから」
「あたしらいつ出発するか決めてないけど」
「それなら大丈夫です! あ! か……賭けても、いいです! その、ラックさん……のお言葉を借りるなら、ですけど」
「結構なこと言うじゃねえのお嬢ちゃん。いいぜ、いっちょ今夜の運試しと行ってみっか! 俺らが勝てばお嬢ちゃんは大人しく礼を諦める、お嬢ちゃんが勝てば俺らはお嬢ちゃんの礼を受け取る」
ニカッと気っ風よく笑って見せる男性――ラックさんを、ジャックさんが視線だけで一瞥する。夜色の深い瞳からその感情は読めない。けれど何も言わない、ということはこの賭けに乗ってくれた……ということでいいのかな。
「そうと決まれば準備がありますので! お二人ともありがとうございました。では失礼します、おやすみなさい!」
「おー、お疲れさん。じゃあな」
「ラック、今夜は飲むよ」
夜の町へ歩き去る二人の背にひとつお辞儀をして、ポケモンセンターへと急ぐ。早くしないとセンターの中のお店が閉まってしまう――。
~
「あ、おはようございます」
「げ」
「あんた大富豪でジョーカー上がりとかしたことあるでしょ」
「? たぶんあると思いますけど……」
まだ日が昇ってからあまり時間の経っていない薄明るい空の下。ノートシティ方面へ向かうための町の出入り口に待ちかねた二人が現れた。何とも物申した気な顔をされているような気がするけれど、そこは少しだけ、今だけ見ないふりをさせてもらわなければ。
「お嬢ちゃん何時からここいた? 俺ら寝てねんだけど」
「それは内緒です……。それより! ぇーっと、賭けは私の勝ち、ですよね! はい、これ」
慣れない振る舞いにドキドキと脈打つ自分の心臓と、二人分の訝しげな視線を見て見ぬふりしながら押し付けるように小包を渡す。保冷剤も入ってるし、何よりちゃんと早起きして時間を計って作った出来立てだから、きっと美味しくなくはない、はず。
「お二人の帰り道のお供に! あ、お昼頃には食べてもらえたら……」
「弁当かこれ! うわ、こんなん食うの久しぶりかも」
「食料ね。ま、悪くないか」
物珍しげに包みを覗くラックさんと、包みを摘んで持ち上げてからしげしげと眺めるジャックさん。反応と言葉を見るにお荷物にはならなくて済みそうで安心する。お弁当の中身を一通り紹介してから、背筋を伸ばして二人と向き直る。
「改めまして、本当にありがとうございました。あの、えっと……お、お二人とまた会えたら! とっても嬉しいです!」
「さぁて、そいつは幸運の女神サマに聞いてみねえと分かんねえな」
「じゃあ、その、また賭けをしましょう! 次にまた会えたら私とお友達になって、お茶をしてください! 私、携帯の連絡先の交換の仕方も知ってるんですよ」
「そんなん誰でも知ってると思うけど」
「ビギナーズラックはそうそう続かねーぜ?」
クツクツとからかうように笑う二人の調子に飲まれないよう、何とか気持ちを奮い立たせる。もしかしたらできるかもしれない、自分と全く住む世界の違う大人の友達になってくれるかもしれない人達なのだから。
「ま。そんじゃあ元気でやりな、お嬢ちゃん」
「変な輩にホイホイついてくんじゃないよ」
「はい! ではまた会う日まで!」
颯爽と町を背に歩き出す二人は何者にも縛られない美しい影を背負っている。私は二人が見えなくなるまで手を振って送り出した。あの人達の行く先に幸あれと。また巡り合う日への願いをかけて。