「わぁ、きれい……」
「マニャオ?」
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美しい、陽の色のリザードがいる。リザードにどこか守られるように並び立っている女の子も、この辺りではあまり見かけない可憐な和装をしていてとても可愛らしい。楽しげに歩み時折何か言葉を交わしているように見える二人を思わず目で追ってしまう。
「ねぇ、あなた」
「っぇ、あ、はい!」
ふわり、と軽やかな足取りのまま歩み寄ってきたその女の子。不意に向けられた声は淑やかなのに溌剌としていて、思わず背筋が伸びてしまう。
「あまりにも目と目が合うものだから、つい。ふふ、ティスタが気になる?」
「ぁあぁ、私、そんなジロジロと……!? 失礼しました……! でもリザードさんもあなたもとっても綺麗で、つい!」
その子の和やかで上品な微笑みは、焦って口籠る私をなだめて包み込むように柔らかい。不躾な視線を送った私を咎めることもなく、空色の瞳は優しくゆるく弧を描く。
「ありがとう。わたしはトキワシティのシオリ、この子はティスタ。他にもコランダで出会った子と一緒に旅をしているの」
「そんな遥々遠くから……! えっと、私はリリー、この人は最近出会ったマスカーニャさんです」
「ニャオ」
一礼してくれたシオリさんにつられて慌てて一礼を返す。人とはじめましてをするのがあまりにも久しぶりで気後れしてしまうのが恥ずかしくて、顔を上げてからそっと帽子と襟を正して気を紛らわせた。そんな私の緊張を見透かしたかのようなマスカーニャさんの視線がさっきから少し痛い気がした。
「リリーさんね。どう? せっかく目と目が合ったのだからバトルでもいかが? 終わったあとはお茶なんかもどうかしら!」
「ゎ、その! 嬉しい、んですけど……! 私のポケモン、誰も言うことを聞いてくれなくて、バトルはたぶんできなくて……」
「あら……うちにもなかなか言うことを聞いてくれない子はいるけれど、誰もというのは大変だわ」
決まり悪く目線を下げるとティスタさんと目が合った。マスカーニャさんの態度を見て何か察するものがあったのか、パートナーのシオリさんと同じく困ったような表情で小さく声を上げてくれた。
目と目を合わせてポケモン勝負……というトレーナーとしての憧れは今はまだ叶えられないけれど、ここでさようならはあまりにも惜しい。誰かと仲良くなりたくて、一歩踏み出したくて私は今ここにいるのだから、と小さく深呼吸してお願いを切り出した。
「ですから、その……シオリさんが良ければなんですけど、一緒にお茶だけでもできたら……」
「まぁ! よろしいの? それにそう、あなたの手に持っているその本」
シオリさんは微笑みながらそっと私の手元に目線を移す。さっきまで公園で読んでいた小説。ころりと変わった話題の矛先についていこうと手に持った本の表紙をまじまじと見つめる。そこそこ長く続いており、私がノルンタウンにいた頃から読んでいる恋愛もので、最近新しい巻がでたばかりのものだ。
「わたしも読んでいるの。ぜひお話できたら嬉しいわぁ」
同じ本を読んでいる人と感想をお話できる……!? 感動のあまり思わずブンブンとうなずいて返してしまう。さっきまでの緊張はどこへやら。初めての、願ってもない申し出に私の心は浮き立つばかりだった。
〜
「結構並んでるかもですね」
「そうねぇ……」
お茶の場所にと選んだのは町の中でも人気のカフェ。昼下がりのランチやおやつに丁度良い時間帯はさすがに人が多かった。一人で行くのなら待てるけれど、シオリさんの時間の都合はどうだろう。そう思案を巡らせているとトントンと肩を軽く叩く手。
「リリーさん。こっちに来て」
「?」
シオリさんに手招きされて、大通りから一本向こうの裏通りへ入り込む。日向のテラス席が立ち並ぶ表の喧騒が遠くなり、落ち着いた雰囲気に包まれた道はどこか大人っぽい。屋根や路地で身を寄せ合っている野生のポケモンたちもこの静かさを味わっているようで、伸び伸びと羽繕いをしたり昼寝をしたりして過ごしている。初めて通る道に気を張ってしまう私とは正反対に、シオリさんは楽しそうに軒を連ねるお店を見回していた。二人並んで通りを少し入ったところでシオリさんの足が止まる。
「ほら、ここにも喫茶店があるわ」
「知りませんでした、こんな隠れたところに……! シオリさんの行ったことのあるお店なんですか?」
「いえ、ちょっとした思いつきよ。初めてのお店。でもなかなかいい雰囲気ではなくて?」
年季の入った木の扉を開くと、カランカランと小気味よいベルの音がした。中は古き良き純喫茶といった趣で、暗い飴色の机と布張りの柔らかそうな椅子が訪れた人を迎えてくれている。私とシオリさんの他にお客さんはいないようだ。
いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ、と店員さんに声をかけられ、向かい合うソファー席へと腰を下ろす。メニューはシンプルにコーヒーと紅茶、本日のケーキ。頼んだのは私もシオリさんも紅茶とケーキのセット。淹れたての紅茶は香り高く、添えられていたシフォンケーキは素朴な甘さでお茶を邪魔しない味わいをしており、お店のこだわりを感じずにはいられない。
お茶が好きだというシオリさんとしばらくお店の話をした後、手元の本の話題へと移る。
「わ、私、本を読むのが好きなんですけど、同じ本が好きって人には初めて会って……この小説のお話、いいですよね。心の描写が丁寧で、伸びやかで……」
「そうね、わたしもそこが好きなところだわ。二人が出会って、主人公の女の子が最初は緊張してしまうけど自然体な彼の姿や優しさに心を開いていく流れがお気に入りなの」
本を手にページをめくり、二人同じ場面と描写を思い浮かべる時間のなんて心の弾むこと。静かな室内で、一人分だけでないぱらぱらと紙の擦れる音が聞こえる。ここは私語を控えなければいけない図書室ではなくて、ただ本を読むための時間でもなくて、目の前の好きなものを共有する時間。お話を軽く読み返し、お気に入りの行を指でなぞって思いの丈を言葉に直す。
「物語の恋のために二人がいるんじゃなくて、二人の歩む関係を彩る感情が自然と恋になっていくところが好きで……」
「分かるわ! だからわたし、女の子にとても気持ちを乗せて読むことができて! ちょっとじれったくもなってしまうときがあるけれど、その踏み出せなさや迷いも情感があって良いのよねぇ」
シオリさんの生き生きとした声音に胸が高鳴る。まるで物語の主人公の、恋する女の子がそのまま本から出てきてくれたかのような表情は見ていると私まで明るく晴れやかな心地になってくる。きっとこんな可愛らしい人を見て、乙女という言葉は生まれたのではないかと思った。
その後も小説のお話は踊るように続いた。シオリさん自身の感情も交えた恋物語の感想は情感に溢れていて、聞いていると引き込まれて読んでいたときの気持ちを彩り豊かに思い起こさせてくれるようで。私も好きな言葉、やり取り、物語に込められた細やかな恋する気持ちの背を押す優しいメッセージについてたくさん聞いてもらった。とても話し慣れてはいなくて、いくら考えてもまとまらなくて、でも好きなところがたくさんあって。そんな熱量だけのたどたどしかったであろう私の話もシオリさんは頷きながら耳を傾けてくれたのが嬉しかった。
お話と登場人物に心を重ねて二人だけで密やかにする会話は、噂と本の中に伝え聞く「恋バナ」というものに近いような気がして、一人もっと聞きたいような落ち着かないような心持ちになる。物語の女の子に重ねられるような、恋の話をシオリさんは知っているのかな。私のまだ知らないその感情について尋ねるには時間が足りない。そして、シオリさんがくれたこの素敵な縁を今日だけのものにするのはあまりにも惜しい。伝えたい気持ちを何度も選んで、選んで、なけなしの勇気を奮い立たせて口を開く。
「あっ、あぁ、あの!」
「なにかしら?」
「私……今日、とても楽しくて……っ、だから、また、お話してもらえたら嬉しいなって……! れ、連絡先、交換しませんか……!」
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