「ニトロチャージ……」
「うん、君のたきびなら覚えられるはず」
電話越しに小さく聞こえる「よっしゃ」という声に、小さな誇らしさが湧いてくる。
じりじりと焼け付く夏の日差しを遠目に、休憩用のテントで思考を巡らせて小一時間。砂浜リレーのために開かれた作戦会議は数度にわたる世間話による脱線を経て、踊りながら進んでいた。
「ニトロチャージは炎をまとって突進するわざ。
まとった炎をエネルギーに変えて、自分の推進力にすることができるんだ」
「走ってるときにそいつを使えたら、たきびのすばやさがカバーできる」
「うん。理想で言えばスタートと同時にわざを使って、断続的に加速し続けられたら……」
「なるほど」とフウキがつぶやいてから、ほんの少しの静寂。ニトロチャージ以外の選択肢もないか、手元のタブレットでデータベースを漁りながら続きを待った。もちものなしで、互いに持っているわざマシン含め、メラルバのすばやさを上げられる方法はきっとこれがベストだ。
しばらくしてフウキが口を開く。
「正直な話、オレは別に最下位だっていいんだ」
静寂に続いたのは、意外な言葉だった。フウキは今取れるだけの選択肢を私以上にくまなく探し、ひとつひとつ彼のメラルバ――たきびに合う方法かを真剣に考えていた。かと言って、その言葉に投げやりさなどはつゆほども感じられない。
「どうして?」
「たきびが最後まで走りきれたんならオレはそれでいいんだよ」
目の前の砂浜を、新人トレーナーとポケモンたちがじゃれ合いながら駆けていく。砂を蹴り、寄せては返す波に足を取られながら。
「でもオレとたきびが走るんだから、最下位でいいってのは違うんだ。
たきびが走るんだから違うんだ」
フウキの声は、優しく、どこか懐かしかった。
やわらかい砂浜と波に足をすくわれ、小さなトレーナーがばしゃんと音を立てて転んだ。しかし友人とパートナーポケモンに手を取られ、また笑いながら駆け出していく。
「たきびが自分でやりたいって言ったんだから、オレはたきびが最善を目指せるように考えたいんだよなあ。
オレ的には親父ってそういうもんだからさ」
「親父……フウキはたきびのお父さんなんだ」
「ああ、オレの手で孵したポケモンだからな」
きっと電話の向こうでニィと笑っているのだろうその姿が目に浮かぶようだった。
それと同じくして、ぼんやりとしていた懐かしさの正体に気付く。親父。父というものの存在に。
「フウキのお父さんも、同じようにしてくれたの?」
「同じかは分かんねえ。けど……仕事で忙しくてもさ、オレが自転車乗れるまでずっと見ててくれたりした」
「そっか。……やさしいお父さんだったんだね」
ん、と短い返事が返ってくる。七年前に出会ったフウキを思い出しながら、小さな背を押す温かい父のことに思いを馳せた。フウキはやさしい。人にもポケモンにも、一歩踏み出してゆける力がある。彼がそうであるように、きっと彼の子どもたちもそうなってゆくだろう。
「ヒルタのとこの親父さんはどんなだったんだ」
「私の……」
不意に問いかけられ、少し逡巡する。私の父は。まじめで、不器用で、仕事をしている背中ばかりを覚えている。スクールの先生をしている父は、家でもよく生徒たちの提出物を確認して、丸をつけていた。
「勉強の苦手だったところ、私よりずっと覚えてた。
テストのたびにいつも大丈夫かって聞かれたよ」
「はは、そっか。親ってそういうとこあるよな」
「うん、もうできるようになったのに」
くすくすと笑うと、電話越しに彼も笑っていた。
目を閉じてみれば、遠い思い出が蘇る。サインペンをすべらす音、カリカリと鉛筆で日誌を書く音。11歳の私が最後に見た、大きな大人の背中。八年前、このレイメイの丘から帰らなかったあの時からずっと、私と父の時間は止まったままだ。
――踏み出してみたい。会いたい。会って、言いたいことがきっとある。
「フウキ」
「ん?」
「ありがとう」
「それはこっちのセリフだろ」
炎の体の背を押す“親父”に、どこか私も背を押してもらったような気がした。
彼とたきびが一歩を踏み出せたなら、きっと、私も。