その魔法は誰のため

「うわぁ」
「ポケモンだけでなく時代も進化してるんだよ~」

カナメと旅をするようになってから、ポケモンバトルとプログラム以外の知識にたくさん触れるようになった。勉強は嫌いじゃないというか、むしろ好きだという自覚はあった。だけど、世の中には勉強するだけでは知りようもないこと、解明しようのないものばかりが溢れていることを思い知らされる毎日だ。嬉しい、楽しい、優しい、綺麗。あとは……。

「写真にも色々あるんだね……」
「すごいでしょう、プリクラって!」

2020-09-21

可愛い、とか。

その魔法は誰のため

失礼を承知で言えば、その第一印象はピカピカで面妖だった。まず顔色が良すぎる。肌の調子も良すぎる。生まれたてを通り越してまるでセラミックのようだ。私は生まれてから十九年経っており、おそらく結構風雨に晒されているし、今日はそんなに化粧もしていない。次に目が、どう例えたら良いのだろう。リコリーの好奇心に満ちていて丸っこく愛らしい瞳がきらめいているのなら分かる。しかし、私の暗く眠たげで取引先に対して失礼だと上司に指摘された瞳までが、哀しみも疑うことも知らない希望に満ちた幼子のように、みずみずしく輝いている。機械に指示されるままリコリーと並んで顔を寄せ、その純真な瞳を強調するように写ってはいるが、どこを見つめているのか分かりにくいのはなんとなく皮肉のようにも思える。

「ここからもいっぱい盛っていきますよ~」
「な、何を持っていくの?」

プリクラ機の側面に回り、ペンを手に意気込むリコリーに習ってペンを取る。くすくすと笑う様子からして、さすがにこのペンを持ってどこかへいく訳ではなさそうだ。
まずは……とリコリーがコツコツ画面をペンで触るうちに、妖しくきらめく二人の写真が現れる。カーテンの中で撮影したときと違うのは、顔と目の輪郭が点線でなぞられているところだ。3DCGに関するソフトやアプリの情報を探すときに見たことがあるような画面だ。
フッフッフッ、と写真に負けじと怪しげに……というよりいたずらっぽく笑うリコリーと目が合う。

「ツカサちゃん……」
「な、なんでしょう」
「なりたい自分になってみましょう…!」

さあ!とペンで画面に触れると、四匹のポケモンのアイコンがあしらわれた十字のグラフが現れる。左上にかわいいエネコ、右上に幼気なパチリス、左下におしゃれなミミロル、右下に大人っぽいロコン。聞けば、どうやらこのプリクラ機、撮影した人物の顔立ちを分析して雰囲気を分類することができるらしい。
エネコに寄ったリコリーとロコンに寄った私の顔立ちを、自然に別系統の顔立ちに寄せる加工を施すことができるらしい。なんということだ。この機械、健康だけでなく個人の遺伝子にまで作用しようとしている。

「ツカサちゃんはエネコ?」
「んん」

昔から実年齢より上に見られることの多い自分を可愛らしい雰囲気にしてみるのは妙に気恥ずかしくて、色々いじって試しているふりをしてごまかした。正直なところ、私はリコリーや……本人は少し気にしているらしいが、カナメのような童顔っぽい雰囲気が少し羨ましい。隣の芝は青いというか、なんというか。かわいいのは、好きだ。自分がそうなるのは似合わないと思うのだが。
華やぐミミロル顔を無邪気に選ぶリコリーを横目に、私は諦めや物理的な道理で透明にされた憧れにまで手を伸ばすような、この機械の貪欲な魔力にあてられつつあった。

「……これにする」
「パチリス!はーい」

やってしまった……!一番幼い顔だ。本当にこれで良かったのだろうか、そんな思いで頭がいっぱいになり、締め付けられるように側頭部が痛む。耳が熱い、ような気がする。それを確かめることすらなぜだか恥ずかしくて、右耳のピアスをいたずらに弄ぶ。チェーンに結ばれた石が笑うようにチリチリと音を立てていた。

「じゃあ次はメイク!ツカサちゃん、いつも試さない色のメイクなんかもいっぱい試してみよ!」

自分の心の中でのたうち回る尊大な羞恥心と臆病な自尊心をサッとしまい、言われるままコクコクとうなずく。機械とリコリーの指示に従いペンで画面をつつき、顔の質感の調整に着手し始めることにした。転げるライコウは赤毛のケンタロスへ早変わりだ。
血色の良いリップの色を選び、みずみずしい質感を加えることで口元をより健康的に。ノーズシャドウとハイライト、顔の輪郭にかかる陰影も書き足すことで先程変形した顔立ちがさらに立体的かつ具体的に進化を遂げる。チークでさらに血流を良くした後、普段あまり手を入れることのない目元のメイクの工程へと辿り着く。

「ツカサちゃん」

おっかなびっくりポチポチと機能を選ぶ私へじゃれるように、リコリーがちょいちょいと肘をつついてくる。思わず背筋を伸ばした私を見て苦笑してから、彼女はふわりと微笑んだ。

「プリはね、かわいく大胆に変身して遊ぶ機械なの」
「かわいく、へんしん」
「そう!もしかしたら、コンテストやトライポカロンに通ずるものもあるかな……」

ちょっと大げさだったかも、と照れ笑いを浮かべる様にこちらまでふ、と笑みがこぼれて気が緩む。こういった純真で素直な感性から溢れた言葉には人の心を動かす力があると、何度も実感させられる。この一年近くでは特に。

「だから、いつもと違う自分になっていいのです!」
「なりたい、自分に」
「へんしんです!」
「!!……うん」

その時、心の中の枷のようなものが外れた。とびきりかわいくなってみたいと思った。いや、正確には『諦めていた”何か”になってもいい』と彼女が思わせてくれたのだ。”かわいい”に対して遠慮している私のことなど、リコリーにはすっかりおみとおしだったのかもしれない。面妖だセラミックだなどと形容した写真は、すっかり鏡写しの自分になっていた。
自分はどれほど変われるのか、試すような、手を伸ばすような。テストに臨む日に伴う好奇心にも似た思いに、ペンも機械も喜んで応えてくれる。ほんの少し手を入れるだけで様変わりする目元の化粧は楽しくてたまらない。くどいほどまつ毛を増やして笑って、二人で凛々しい眉を描いて笑って。箸が転んでもおかしいという喩えを聞いたことがあるが、今日の私達はペンが転がるたびにおかしくてたまらなかった。

自分達の顔を叩き台にふざけつつも一枚一枚異なる印象のアイラインやシャドウを施してみたり、涙袋を強調してみたりしつつ、ついに最後の一枚になった。じっくり思考するには短い時間ではあったものの、リコリーのお陰で遊びで取り入れてみるのも面白そうな色やラインの引き方などを見つけることができた。
隣でニコニコとペンで今日の日付を描き入れる彼女を横目に、私はずっと気になっていた機能に目を向ける。アイカラーだ。瞳は十分大きく加工されているということで、この機能を使う場面はなかったのだが、最後の一枚だ。試すだけ、後で消すからと誰のためかも分からない言い訳を唱えて、カチカチと魔法のペンを動かした。ペンはもちろん喜んで応えて――

『遊んでくれてありがとう!印刷しているよ!』

シンデレラ・ナイトは終わりよ、という鐘の音、の代わりのアナウンス。魔法が解けて、さっきまで赤べこと化していたライコウは、押し込められていた分の雄叫びを上げて心の中を駆け回る。おくびょうは素早い。

「できたー!」
「あ」

おくびょうは素早く、そして力が弱いのだ。カタン、と音がしたと思ったらリコリーはもう印刷されたシール紙を手にして満足げに掲げている。力がないのに加え、地の利も場数も足りていない。動揺すると人は「はわ……」という声が出ることを知った。旅の相棒の焦ったときの顔がなんとなく脳裏に浮かんで流れてゆく。はわ……。
リコリーはプリクラ機から流れる軽快な音楽を口ずさみながら、慣れた手付きでパキパキとシールを分けている。何をどうしたら良いものか、足元どころか全身がふしぎな感じになっているうちに、シールを分けるリコリーの手が止まった。

「あ、これ」
「ア」
「やっぱりツカサちゃん、白黒だけじゃなくて明るい色が似合うみたい!」

真っ直ぐな笑顔が眩しくて思わず目を細めながら、シールを受け取る。決して恥ずかしいからではない、たぶん。顔にはきっと出ていないはずだが、誰にも秘密にしたい嬉しさがドキドキという心臓の音に乗せて全身を巡るようだった。
一枚一枚が別の世界線を写し出したような、魔法のシール。現実を超えて、なりたい自分に変身できる魔法のカメラ。そこに一枚だけ写したのは、キラキラの金色の瞳をしたかわいい自分だった。

「おかえりツカサ、お出かけはどうだった?」
「ただいま。とっても楽しかったよ、リコリーとプリク――」
「ん?」

カナメのいるポケモンセンターに帰ってきて、玄関先でのいつもどおりのやり取り――が詰まる。メールを抱えてやりながら、カナメは首を傾げてこちらをふしぎそうに見つめている。金色の瞳とぱっちり目が合って、終わったはずの魔法の残り香がゆるやかに心の奥をくすぐるのが分かった。

「――ひみつ」
「えっ」
「ふふ、今度カナメにも教えてあげる」

ね、メール。と、私が帰ってきてからずっとそっぽを向いているメールの頬を指で撫でる。カナメの目を盗んでこっそり見つけたお菓子が詰まっているのだろう。もちもちとした頬の感触の奥に何かしら詰まっている気配がする。甘えるふりをしてカナメにしがみついて隠す様を見ていると、当たりのようだ。今日だけは許してあげることにしよう。そしてクッキー缶は明日から私が預かっておこう。

どこかで聞いたことがある。女の子は誰しも秘密があって、秘密のある女の子は魅力的だと。意地悪だろうか? でもいずれカナメにも教えてあげたい。彼は写真を撮る側だが、同じくらい撮られる側も似合うと思うのだ。かわいいことを気にしてるから嫌がる気もするが、風景以外の写真技術の進化は著しいのだと言ってみれば――ああ、秘密をひとつ抱えただけで、すっかりあくタイプに魂を売ってしまったような心地がする。

軽い足取りで荷物を片付け、ベッドでタオルケットに包まった。ひみつ、君の知らないひみつができた。そして、それは魔法の産物だ。私はかわいくなれるのだと。私は君と同じ、金色の瞳が似合うのだと。一枚だけの小さな証拠を手のひらに収めて、こみ上げるあたたかな感情ごと抱きしめた。

何の意味もないはずのものに意味を与えてくれることを、私は魔法だと思った。