遠く遠く、さざなみ立つ水平線がささやかに、まばゆく色づいては元の海色へ返ってゆく。赤、青、緑、黄、紫。普遍的な名前でくくるには足りない気がするほどにたくさんの色が、刹那にまたたいて消えていく。一瞬のうちに夜空へ花火が散らされると、懐かしい火薬の香りがかすかに漂う。ゆるやかな潮風に流されてきた見えない煙と炎天の花の香りが、思い出をなぞる私の視界をひどく優しく滲ませた。
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毎年この時期になると、海の向こうのミナモシティでは大きな夏祭りが催される。同級生たちは皆それぞれに誘い合わせ、放課後になるやいなや足取りも軽やかに、いつもより華やかな装いで連絡船へ飛び乗っていく。先生たちもこの日ばかりは少し門限を緩め、寮の宿直担当になる数名を残して、会場で生徒を見守りつつ息を抜きに出かけている。寮にも校舎にも人がほとんどいなくなる、一年に一度この日だけ、私は花火が一番よく見える校舎の最上階へ忍び込む。別に、ひとりで花火が見たいというわけじゃない。ならばなぜここへ来るのかと言えば、足りないものを埋めるために、そして忘れないために。――いや、忘れられない自分を慰めるためかもしれない。
鍵のかかった、未だたったひとつだけの名称未設定フォルダを開く。上から夢中で残した写真を指折り数えて、切り抜かれた世界の主役たちと交わした言葉やその声音を確かめる。ひとつひとつ、彼らがパートナーを励ます声の背に混じる潮風を伝って調律しながら、追憶の海に潜ってゆく。いつの間にか呼吸も止めて、ようやくたどり着いたその一番底に、何千何百の言い訳を報いる記憶。思い出が触れるだけで繰り返せるのがこわい。大切に思うものが薄れたりなどしないよう願いながら、記憶の扉を静かに一度ノックした。
抱えるほどの小さな窓の向こうに映った、記憶の中の大輪の花が弾けては消えてゆく。鮮やかに火花の散る音が、海の向こうに咲く喧騒を掻き消していく。咲き乱れる花火の音があって、何度も思い返した景色があって。私はキミの名前を呼んで、キミはとってもきれいで。無邪気に笑うキミの声はあの日から変わらないまま。満たされた心が胸を押し潰す。つられて笑ってしまうくらい苦しい。ささやかに泣き笑う私の元へと流れ着く海を渡った風が、小窓の向こうの思い出に足りない匂いを埋めてゆく。ぬるくも涼しい、まとわりつくような夏の夜の空気を深く吸い込んだ。一年に一度この日だけ、同じ季節、同じ花の香り、今といつかの日が重なる。この鮮やかな思い出を、鮮やかなままにしていたいんだ。思い出は変わらない。けれど私は変わりたくないのに変わっていくから。
次、会えた時、きっと彼の声はもうこの思い出の中のものとは違うのだろう。私の声や名前も、忘れているかもしれない。それに、そうだ、彼の中の私は“ヒルタ くん”だ。もし会えたとして、気付いてもらえるだろうか。私ばかりがあの美しい思い出を離すまいとしていたらどうしよう。もしそうだったら笑ってほしいな。もし、もしも、一番美しい思い出が今新しくできてしまったらと思うと怖くてたまらない私を。戻れない過去の瞬きを消さないために、今を焚べる私を。
遠く遠く、さざなみ立つ水平線がささやかに、まばゆい星々を抱えて揺れている。
華やかな祭りの時間は過ぎ、残るはかすかな煙だけ。
何かを等しく大切にはできないし、同じように等しく突き放すこともできないから。
淡く深い後悔も、確かにあった幸福も、すべてはこの胸の内に。