墨染めの黒に花束を

「ほな、いくで……いざ、尋常に! 勝負!」
「ゎ、あ、どうしよう……! トレーナー、なら……トレーナー……」

 オメナアカデミーの体験入学中、友達と屋台を巡っているときにふと目を離した瞬間マスカーニャさんがふらりとどこかへいなくなってしまったのが事の始まりだった。気分屋なマスカーニャさんをコントロールしきれないのはいつも私の頭に植え付けられたなやみのタネだったけど、まさか人様のだいじなものを盗んでしまうなんて。どう謝ったら……と考えを巡らせる暇もなく、相手のトレーナーさんはポケモンと共に臨戦態勢に入っている。

 スズリと呼ばれたヘルガーが私とマスカーニャさんの眼の前に躍り出て、口端からジリジリと炎を溢しながら牙を剥いた。焦る私を尻目に、マスカーニャさんは相手のことなどどこ吹く風であくびをひとつ。まともに戦う気すら見せないマスカーニャさんの様子にカチンと来たらしい相手のトレーナーさんが大筆を振りかざし、声を上げる。
 
「そっちから来ぃひんなら先手は頂きますえ……! スズリ! ちょうはつ!」
「グルルゥッ!」

 スズリさんがトレーナーさんの声に呼応するように唸り、マスカーニャさんに鋭い視線を向ける。あくタイプらしさを存分に感じさせるニヒルな笑みを浮かべながら、まるで「意気地無しが」と嘲笑するようにわざとらしい隙を見せる。いけない、マスカーニャさんは他人をおちょくるのは好きだけど、おちょくられるのは大嫌いで……!そう脳裏によぎったときには既に遅かった。
 
「マスカーニャさっ……」
「グルニャォウ!」

 舐めるなとばかりにマスカーニャさんも唸りを上げ、爪を剥き出しにしてスズリさんに躍りかかる。完全にちょうはつに乗ってしまった。
 
「そんなに頭に血ぃ昇ってはったら前見えてへんのと違います?」
「マスカーニャさっ……! と、止まって!」
「無理や! ふいうち!」

 マスカーニャさんの鋭い爪が空を切る。スズリさんの燃え盛る体温で発生した陽炎がぐらりと掻き消え、その死角からの強烈な一撃。私の声がギリギリで届いたのか、マスカーニャさんはすんでのところで体勢をズラし直撃は免れた。けれどスズリさんの炎のような体温はマスカーニャさんが近くにいるだけで消耗してしまう。マスカーニャさんは吹き飛ばされながらも受け身を取り、ザリリ、と地面に爪を立てながら踏みとどまる。
 
「ぁっ……あんまり近づいちゃダメ……! マスカーニャさん、えっと、トリックフラワー!」
「だいもんじで撃ち落としてまえ!」

 大の字を描く炎の塊が迫る。こんな威力のほのおわざを受けたら耐えられない……!トリックフラワーは細工をした花束を相手にぶつけるわざ。この炎の勢いじゃ花束ごと燃やされてしまう。
――刹那、マスカーニャさんの姿が消えた。

「シャッ」
「ガッ……!!」
「つじぎり……!? トリックフラワーはどこや!?」

 豪炎を掻い潜り、マスカーニャさんがスズリさんの不意をついて切り払う。繰り出したのはトリックフラワーではなくつじぎりだ。相手のトレーナーさんは混乱しているけど、それ以上に自分が混乱している自覚がある。

「えっ、あっ、マスカーニャさん! ぁぁあ危ないから……! と、とんぼがえりで戻ってきて!」
「逃がすなスズリ、おいうち!」
 
 マスカーニャさんがタタンとステップを踏み、宙返りをしながらこちらへ跳ねる。着地点であろう私の眼の前を狙いすまして、牙を剥いたスズリさんが飛びかかってくるのが見える。いけない、このままでは着地の隙をついて攻撃を受けてしまう、どうしよう……!
眼前に迫るスズリさんの牙、相手のトレーナーさんの大筆が振り回されるたびに地面に描かれる黒い軌跡、くるりと身を翻しながら宙を舞うマスカーニャさん。すべてがスローモーションに見える。そのさなか、マスカーニャさんがこちらを見て一瞬、ニィ、とイタズラっぽく笑って見えた、ような気がした。

「マスカーニャさん……!?」
「!! 罠やスズリ、あかん!!」

 パンッ!と弾ける音がしたと同時に視界いっぱいに広がったのは、陽炎の中を舞い散る花吹雪だった。

着地点――のはずだった場所にまっすぐ突っ込んできたスズリさんの脳天を、破裂する花束が直撃した。とんぼがえりのフリをしてスズリさんを陽動し、本来の着地点であろう場所にあらかじめ花束を放り投げていたらしい。当たりどころが悪かったのか、スズリさんは一歩、二歩、踏みとどまろうとして――バタリ、と倒れてしまった。

「スズリ!」
「わ、あ……マ、マスカーニャさん!」
「マニャァ~」

 相手のトレーナーさんが、私の足元で目を回しているスズリさんに駆け寄る。マスカーニャさんはいつの間にか集まってきたバトルの見物人に悠々とお辞儀をして見せていた。相手のトレーナーさんの大筆もあってか、このバトルがパフォーマンスのひとつと思われていたらしい。
 
「なんやあんたの戦い方。めちゃくちゃや」
「それは……その」

 それはその通りだ。なぜなら私ですらマスカーニャさんの行動は予測がつかないのだから。トレーナーさんは答えに困る私を訝しげな表情で見やりながら、スズリさんを労りつつボールに戻した。
 
「……あの人は私よりずっと強くて賢いんです。だから……私が、私のほうが追いつかなくちゃいけなくて」
「ふぅん……なんやワケあり言う感じどすな。ほんなら早よしはったほうがええで。トレーナーが手ぇつけられへん泥棒猫なんて最悪や」
「そ、それは本当にすいませんでした……!!」
「けど負けは負けや。お買い物券、好きに使いはったらええ」

 少しぶっきらぼうに差し出された出店用のお買い物券を受け取る。去ろうとするトレーナーさんの足元で、小さなゴチムがどこか残念そうに私と彼を交互に見つめている。
 
「リリーさん、大丈夫だった?」
「シナバーさん……!」

 どうしよう、と立ち尽くす私に駆け寄ってきてくれたのは、一緒にこの体験入学に来た友達のシナバーさんだった。見知った顔が現れて、ようやく勝負の緊張感が抜けてきたのを感じる。
 
「さっきのバトル……見てた。めちゃくちゃだったけど……でも、リリーさんとマスカーニャ、すごいと思った。……前よりずっと、マスカーニャがリリーさんのほうを見てる」
「そう……だったんですか?」
 
 ポケモンとのコミュニケーションの才能があるシナバーさんの言葉には、いつも見守ってくれているだけの説得力があった。
 そして、彼のポケットから覗く、お揃いで買ったマスコットを見てひとつ考えが浮かんだ。
 
「そうだ、シナバーさん。少しお願いが」
「? 何?」
「ちょっとだけここにいてくださいね。ぁ、あ、あの! スズリさんのトレーナーさん! 待って……!」

「……このお店、で、合ってると思う」
「良かった、まだある……!」
「こないなとこ連れてきて何どすか」

 シナバーさんに案内してもらって来たのは、二人でマスコットを買った手芸部の出店。盛況だったから売り切れていないか心配だったけど間に合った。お店の生徒さんにお買い物券を手渡し、トレーナーさんの足元にいるゴチムちゃんを手招きする。
 
「ゴチムちゃん、どれがあなたの好みですか?」
「チム~……チム!」

 ゴチムちゃんはレジャーシートの上に所狭しと並べられたマスコット達をじっと見つめて、その中のひとつを指さした。指された先にあったのは黒い体に黄色い輪の刺繍が施された小さなブラッキーのマスコットだった。お店の生徒さんに声をかけ、受け取ったそれをゴチムちゃんに手渡す。
 
「はい、どうぞ」
「チム~!」
「……戦利品の使い道、それでええんどすか?」
「もちろんです! ゴチムちゃん、嬉しそう。このマスコットも、きっとあなたに似てるから選んだんですね」

 仲良しで素敵です、と呟くと、トレーナーさんは少しバツが悪そうにしながらゴチムちゃんを抱き上げる。
 
「そんなこと言うても泥棒されたんは話別どすからな」
「わ、賄賂とかじゃないですから! ただこの子がマスコットを欲しいって言ってたのを叶えてあげたくて……!」
「はぁ、分かっとります。あんた駆け引きとか嘘とか、そういうん下手そうやし。ほな、これで用は済んだゆうことやな」
「ぁ、あ、あ、待って!! く……ください……。その、もうひとつだけ……」

 慌てふためく私に、トレーナーさんとシナバーさん、二人(とゴチムちゃんの)分の視線が刺さる。こうやって焦るのも何度目だろう、いつも人と関わるときはこうなってしまう。こわくて、ちょっと痛くて、でも、それを超えたいと願う思いがある。
 
「私、リリー・リリウムって言います。あなたが許してくれるなら……なんですけど……一緒にお店を回ってもらえませんか?」

 えぇ……?という声が小さく聞こえた気がしたけど、こわいけど!少し震えてしまいそうな手を差し出して、続ける。あと、できれば笑ってるように見えていますように、今の表情。

「お友達になってほしいんです」