流れ星は帰らない

 数日間の厄介払いだったのか、大人の都合を隠す優しさだったのか、それすら私には分からない。
 赤と青、ガーディとロコン、遊園地と図書館、あの子とこの子。いつの間にか持たされた秤に、いつの間にか何かが、誰かが乗っている。ひとつずつ、丁寧に選びとって落とした。
都会と田舎、どちらに行きたい? 一軒家とマンション、どちらに住みたい?
お父さんとお母さん、どちらが好き?
選ばなかった方が嫌いなわけじゃない。そんなはずがない。はじめから天秤は傾きすらしていなかったのに。だけど、それでも。答えない、という選択肢はなかった。落としたのならもう拾えない。選んだもの、落としたもの、すべてを覚えて背負っていくこと以上のつぐない方も誠実さも、私は知らない。

 四日の間ですっかり見慣れたポケモンセンターの広間で、モモン色の結われた髪が忙しなく揺れていた。少なくはない人がいるが、辺りは心地よい静けさに満ちている。すべてに薄くもやがかかったような曖昧さの中で、鮮やかな色彩を持った彼女は振り向いた。温かな彼女の手が私の両手を包んで、まん丸い海か空の色の瞳がきゅうと細められる。

「ヒルタさん!」

 彼女のはっきりとした声に、目の奥がしびれた。なぜだろう、胸の奥が重くてたまらない。微笑む彼女におくる言葉が出ない。何が必要なんだ。いや違う、多分そうじゃなくて……。私はキミに何をしたらいい、私は。何ができるんだ。そういえば、名前は知っているのにまだ何と呼んだらいいかすらも聞けていない。

 「リコ……」

刹那、記憶ごと拭い去るような冷えた風に吹かれて、温もりも見慣れた景色も微笑む彼女も掻き消えた。実態のない喪失感が、目覚める意識に埋もれていく。

 タブレットを抱えたまま両手を強く組んで寝ていたらしく、滞った血の流れで冷え冷えとした感覚と、全身を薄く包むしびれが少しずつ現実に染み渡る。まるで祈るような寝姿を見たものはおそらくネイティくらいしかいないであろうことにひとつ安堵と気恥ずかしさのため息をついてから、控えめに揺れるカーテンと開き、窓を開け放つ。窓の外には薄明るい黄色と紺色がやわらかなグラデーションを描いて広がっていた。雲ひとつない空と、水平線が遠く遠くで混じっている。窓際に置いていた眼鏡をかけてみれば、日の出にはほんの少し早く、小さな星々は未だかすかなきらめきで紺色の中に散らばっているのがよく見えた。そよぐ風すらも、ほしのかけらが乗っているような気がしてしまう。吹かれるたびに目の奥と、胸の奥が痛む。まるでほしのかけらで満たされた海に浸かっているような。痛む場所が知りたくて胸に指先を添えてみて、ようやく気付いた。涙の跡が視界の端をくもらせていることと、乾ききっていないしずくが手の甲を冷やしていたことに。

一度気付いたらころがり落ちるように、せきを切ったように見えない痛みと熱が胸と目の奥に寄せてきた。流れては見えなくなっていく、景色と一緒にこぼれた涙も。拭うことすら今はできない。なぜだろう、見た夢はもう曖昧だけど怖い夢ではなかったはずだ。それだけは分かるのに。

『あんた、何が怖いんだ?』

 朝日と夜の隙間に、飾り気のない声を見た。昨日、そう、ほんの昨日のこと。彼にそう問われたとき、結局私は何も答えられなかった。分からないとすらも言葉にできないまま、いや、分からないことが分からなかったのだ。わたしは。ただ、誰もわるくしたくなくて、何もきらいになりたくなかった。選ぶことで何かを傷つけて、それでも選ばなければいけないのなら、私も同じだけ失くして背負いたかった。でも、私はただきっと、これ以上傷つきたくないだけなんだ。背負いたいのに潰れそうだ。どうしてみんな生きられるんだ。

 RPGのゲームを進めて、二度と行けなくなる町で話せなくなる人がいるのが嫌だった。宝箱は全部開けたくて、思い出はどこまでも取りに帰った。ただなぞるだけではつまらないとは分かっていても──あぁ、本当に簡単なことだ。後悔したくないだけなんだ。じくじくと胸の奥が痛むほどに、涙に世界が溶けて風も光も混ざりきってしまうほどに、見えるのは取りこぼしてきた私自身だった。

 体温で密やかに温まったままのタブレットを抱えて、目を閉じる。一度留めれば少しはマシになるかと思ったのに、涙はとめどなくこぼれていく。こぼれた涙が、眠る前から開いたままの思い出に触れて、首にかけたヘッドホンから不意にくぐもった火花の音がささやくように鳴りだした。ああ、もう言葉もない。幾千の言い訳でできた、たったひとつの未分類フォルダ。今ようやく名前がつけられる気がするよ。腕の中に収まるほどの小さな窓に残した夜と光と一昨日が――とってもきれいだ。

『ホントに、すごくきれいだ!』

ねえもっと、お願い、言いたかったことがたくさんあるんだ。一緒にいたかった時間があるんだ。走る電車も流れる時間も、まるで流れ星みたいに行ったきり。もう掴めない、光の跡すら見えない星にも、願いをかけることはできますか。

『――誰かと一緒になんかしたり、仲良くするのを避けてるのか』

『もしまたどこかで会えたら、その時に――』

『えっと、次、会えた時、ね』

会いたい、会いに行きたい。今すぐ走って。ただ見るだけじゃ寂しかったよ。誰かこの自分勝手な後悔がルール違反か教えてよ。

『その時にお友だちになってください!』

『ホントは、なんて呼ばれたいか、おしえてよ』 『ヒルタ』 『くん』

――いいよ。痛いほどの後悔も、指切りできなかった約束も、忘れられないんだ。
全部背負って、いつか会いに行かせてください。