「ファリちゃん、フラちゃん、その子どうしたの?」
「え?」
まだ人もまばらな午前の市場の片隅で、ミツの声に振り返る。ニコニコとした顔でファリーヌとフラウアが手を繋いでいたのは、スタイを付けた見慣れぬピチューだった。二匹は嬉しそうにじゃれつくピチューを撫でたりあやしたりしている。……が。
「どこから連れてきたんだ……?」
「みっちゃん! ロティちゃんいないよ!」
「なにっ」
迷子らしきピチューを放っておく訳にもいかない。ミツに買い出しの荷物とフラウア達を任せて、チャチャと捜索に出向こうとしたその時。
「あの、あなた達、この子のトレーナーさん?」
「ロティ!」
ふんわりと巻かれた茶色の髪に、黒いワンピースの女性がロティを連れて……というよりかは、ロティに連れてこられた、といった雰囲気だろうか。当のロティはいつも店で接客をするときのようにのほほんとした笑顔で尻尾を振っている。時折キラキラとした物欲しげな上目遣いで女性を見上げては撫でてもらって、コロコロとお腹を見せて甘えている……。プイネの涼やかな視線になど一切気付く様子も無く、ロティは連れてきた女性に対してすっかり甘えん坊の看板犬モードを発揮している。
「すみません、うちのポケモンがご迷惑を……」
「いえ、そんな。むしろ困っていたわたしをこの子が見かねて助けに来てくれたみたいで」
そういうと女性は緩やかな足取りで、ピチューを囲んでご機嫌なライチュウ兄妹の元へ歩みを進める。そっとしゃがんで、フラウア達と目線を合わせて、にこやかに声をかける。
「あなた達、ポーチのお兄ちゃんとお姉ちゃんになってくれていたの?」
「ライ!」「チュチュ~!」
「ポーチ、楽しかった? お兄ちゃんとお姉ちゃんにありがとうしてね」
女性に優しく声をかけられたピチューはフラウアとファリーヌを一度きょろきょろと見やり、三匹は小さな電気をまとわせたほっぺとほっぺを合わせて挨拶を交わした。挨拶を済ませたピチューは、広げられた女性の腕にぴょんと飛び込み、穏やかに丸くなる。
「ご挨拶が遅れてごめんなさいね。私はハート。この子……ポーチのトレーナーです。バウッツェルちゃん、ポーチの元につれてきてくれてありがとう」
「俺はミヅキ、このバウッツェル……ロティのトレーナーです。そこのライチュウのフラウアも。こっちは妹のミツカ」
「ミツカです。アローラのほうのライチュウのトレーナーをしてます。わたし達、たまたまお店の買い出しに来てて」
「あら、そんなお忙しい時に助けてくださったなんて……」
「大丈夫ですよ。……そうだ。ハートさん、良かったらうちの店で何か食べていきませんか。少し早めのランチでも」
「ブランチってやつですね! ファリちゃんもロティちゃんも、ポーチちゃんやハートさんとまだ一緒にいたいみたい」
ロティとライチュウ兄妹の期待に満ちた視線がハートさんへ一心に注がれている。ハートさんはくすりと微笑みながら、「ではお言葉に甘えて」と頷いてくれた。それを聞いたロティは尻尾をさっきよりも千切れんばかりに振りながらハートさんの足元をくるくると歩き回って、早く行こうと言わんばかりに急かし立てている。ライチュウ達も抱き上げられているポーチにライライチュウチュウと何か話しかけているようだ。
本来なら定休日の店内で、ハートさんだけの歓迎貸し切りタイムだ。ポケモン達と一緒にゆっくり寛いでもらおう。
~
ハートさんを連れて帰ってきた、本来ならば定休日のはずのコハク堂はポケモン達の歓迎ムードで一気に賑わいが満ちる。ハートさんには穏やかな陽光の差し込む広めのソファ席の真ん中に、周りには店のポケモンとハートさんのポケモンに座ってもらう。ミツに水を出してもらっている間にメニューを持ってきてハートさんに差し出した。
「こちらメニューになります」
「ありがとうございます。ふふ、いっぱいあって迷っちゃう」
「えへへ、ランチだったらこちらのページのメニューなんかもオススメですよ~」
そう言ってミツが勧めたのは軽食のページ。アイスプラントと長ネギの塩辛シャキシャキ和風サンドイッチ、つやつやアボカドとメェークルチーズのミルクグラタン、スモークきりみとガケガニスティックのカルパッチョ風サラダ……。季節ごとに出す新商品と定番商品の入り混じる、喫茶店の華のようなページだ。ハートさんの隣で羽根を休めるトートと呼ばれたチルタリスとポーチも、興味津々と言った様子でメニューを覗き込んでいる。そうしているうちに、ひとつハートさんの目に留まったメニューがあったようだ。
「……キスより甘い、パンケーキ……?」
「当店の人気メニューですね」
「マホイップの愛情たっぷりなクリームもトッピングできちゃいます!」
遊び心に溢れたメニューのネーミングはミツのセンスだ。俺には到底思いつかない、愛らしい言葉で飾られたパンケーキはコハク堂に訪れたお客様のSNSアカウントでもよく話題に挙がっている。「#キスパンチャレンジ」というタグはミツの投稿から始まって、今ではすっかりお客様の投稿にも浸透している。何にチャレンジしているのかは俺にはよく分からないのだが。
「ふふ、じゃあせっかくだから……『キスより甘いパンケーキ』をひとつ。ポケモン達も食べられるように取り皿もお願いします」
「かしこまりました。『キスより甘いパンケーキ』をおひとつ、取り皿もご用意いたします。焼き上がりまで少々お時間をいただきますが、よろしいでしょうか?」
「えぇ、大丈夫です。その間、お店の子達とお喋りしていてもいいですか?」
「ぜひ。みんな喜びますよ。ミツもハートさんと一緒にいてくれるか」
「は~い。こっちでアパちゃんとレイちゃんに準備してもらうね!」
ハートさんの接客をミツとポケモン達に任せて、キッチンに入る。
製菓用道具の店からセルクルをふたつ出して、バターを塗り込む。生地が綺麗に型から抜けないと台無しになってしまうので丁寧に。オーブンは180度に予熱。卵は卵白と卵黄に分けて、卵黄のほうにモーモーミルク、ヨーグルト、よく振るった小麦粉を混ぜ合わせる。小麦粉はグルテンの粘りが出てしまうと生地がふんわりと仕上がらないので、さっくりと。そこに香り付けのバニラオイルを少々。卵白のほうはグラニュー糖を少しずつ混ぜ合わせながらしっかりと角が立つメレンゲにしていく。メレンゲに卵黄ベースの生地を掬い入れて馴染ませ、メレンゲの泡が潰れないよう優しく混ぜる。天板にセルクルを2つ並べて生地を流し入れ、熱を逃さないよう手早くオーブンの中に入れる。焼き上がるまでしばらくかかるので調理器具を洗いつつ、カトラリーの準備もしておかなくては。
パンケーキ用の食器を用意しているうちに、ミツとハートさん達の様子の偵察をこっそり頼んでいたチャチャがキッチンにふわりと現れる。いつも通り陽気な身振り手振りで向こうの様子を報告してくれたが、和やかに楽しげな雰囲気でお喋りが弾んでいるとのことだった。この様子だとセンチャと組んで二人にお茶も出してきたのだろう。こいつはそういうところがある。ひとまず、焼き上がりまでの時間は何とかなりそうだ。
~
「お待たせいたしました。『キスより甘いパンケーキ』になります」
「ふわふわで分厚い……! とっても美味しそうね」
焼き上がったパンケーキは今日もばつぐんの出来だ。分厚く柔らかに焼き上がった生地は滑らかな焼色で、とろけるような質感に仕上がっている。香ばしい小麦の香りに混じってバニラとバターの柔らかな甘みが湯気と共に立ち上り、この空間自体に陽だまりのような温度が満ちていく。
人の心を掴む商品名と、その実物を目の当たりにしたお客様の笑顔。俺とミツの二人で作るパンケーキ。これが俺は大好きだ。
「仕上げの愛情たっぷり生クリームもぜひ~! アパちゃん、レイちゃん!」
さっきまでミツとハートさんと歓談を楽しんでいたアパレとレイユがヨチヨチと歩きながら、パンケーキを挟むように位置につく。
「ハートさん、今日の気分はさっぱりですか? それとも甘々?」
「あら、迷うわね。じゃあ……甘々でお願いしようかしら」
「じゃあアパちゃんのキャラメルクリームメインでお願いね!」
「マホ~!」
アパレがキャラメル風味の生クリームを大胆に盛り付けて、それをレイユが小さな両手でクリームを繊細に操り整える。合間にレイユのレモンクリームで小さな飾りを散らしながら、二匹は息のあったコンビネーションでパンケーキを華やかにデコレーションしていく。アパレのキャラメルクリームはパンケーキの中央で花びらのように折り重なり――最後にミツが小さなリーフ型の抹茶クッキーを添えて――アパレのクリームはパンケーキの中央にハート型のバラを花開かせた。
「まぁ……! アパレちゃんとレイユちゃん、とても息がぴったり……!」
「アパちゃんとレイちゃんのクリームデコレーションショーでしたぁ~! このお花はきっと、この子達がハートさんにプレゼントしたかったのかもしれませんね」
「『キスより甘い』……って言葉の意味、この子達を見ていたら分かったかもしれない」
クリームのパフォーマンスにはしゃぐポーチと、それを微笑ましげに見つめるトート。ハートさんは「食べてしまうのが少しもったいないわね」と笑う。それから、丁寧にパンケーキをポケモン達に取り分けて、いただきます、と小さく一切れをフォークに乗せて口に運んだ。いつになっても、この瞬間は心臓の鼓動が少しだけ早くなる。
「……美味しい!」
「ありがとうございます!」
「ありがとうございます」
ミツと声が揃って、目と目が合って。お互いに笑った。
それからは、ミツとハートさんに俺も加わって世間話を楽しんだ。メニューに乗っていた『キミにメロメロ♡メロンソーダ』や『大人のゆうわく♡フォンダンショコラ』もミツのネーミングなのかとか、双子の兄妹でお店をやっていて楽しいことはどんなことがあるかとか。
その中で、ハートさんはダグシティでドキドキストアというお店で働いていることを教えてもらった。ポケモン用のアイテムから生活の品まで幅広く取り扱うディスカウントストアで、ゲームコーナーなどの遊べる場所なども設けられているという話だった。手頃な価格で遊び道具やお菓子が買える上に、流行りの品も手に入る。ゲームコーナーでは占いもできて、相性診断なんかも楽しめるときた。やたらと濃い謳い文句の食べ物をあれこれ手にして笑うミツ。賑やかなポップに囲まれた雑貨コーナーの、何とも言えないセンスの雑貨を指さして「見てみっちゃん!」と俺を呼ぶミツ。何を根拠に占っているのかよく分からないマシンの相性診断に一喜一憂するミツ。きっと楽しい時間を過ごせるだろうと思った。
「いつか行ってみたいな」
「うん!」
「その時にはおまけしてあげる」
ミツと顔を合わせて、また笑う。それを見たハートさんが「双子の兄妹って、表情もそっくりになるのね」と微笑んでいた。
ふと視線をハートさんのすぐ隣に移すと、パンケーキを食べてお腹いっぱいになったであろうポーチがうとうとと船を漕いでいた。まだまだ幼いピチューだ。市場で遊んだ疲れもあってか昼寝の時間になってしまったのだろう。周りのポケモン達とも顔を見合わせて、みんなでそっとポーチを見守る。
「ミツカさん、良かったらポーチを抱っこしてみる?」
「えっ、いいんですか?」
「ポーチはね、温かい腕の中で眠るのが好きな子なの」
両手に乗ってしまうほどの小さな体を、ミツがハートさんからそっと受け渡される。優しく、やさしく、ミツがポーチを胸に抱く。柔らかで温かなミツの腕の中で、ポーチはすっかり眠りに落ちていた。
「かわいい……温かい……」
「でしょう?」
そんなやり取りをする二人を見守りながら、フラウアとファリーヌにキッチンからティーセットとハーブティーの茶葉を持ってきてもらった。冷めても香りの良い、昼下がりに向けてぴったりの一品を指示してある。
「……ポーチが起きるまで、ゆっくりお茶しましょう。今日は貸し切りですから。時間はお気になさらず」