曇らぬよう青を包んで

「アオイ?」

 多くの人とポケモンの行き交う市場の中、たおやかに靡く藤色が目に留まり、気付けば声が零れていた。振り向くその顔に見えるのは、透き通るような、少し懐かしい青色だった。

「……ミヅキさん?」
「やっぱりアオイか、久しぶりだな。少し髪伸びたか? あと背もちょっとばかし」

 アオイの荷物には市場で買ったと見える薬草の束がいくつか入っている。この辺りはリフィアほどではないがそこそこに賑わう薬草やスパイスの市場が有名だ。時間のある時、リフィアの市場では見かけない品を探しにこの少し離れた小さな町に来ることがあるが、こんな出会いがあるとは。やはりこの町の市は何が転がっているか分からない。

「旅に出たって本当なんだな。今日は薬の勉強か?」
「手持ちの薬草が切れたんだ。ここなら揃うと思って」
「リフィアに寄ってくなら送るぞ」
「いや……また別の町に行くから大丈夫だ。ありがとう」

 そう答えたアオイの顔に少しだけ翳りが見えたような気がしたが、その正体を掴みに行くには、俺は少し大人になりすぎた。どう返事をしようか微かに迷って下げた視線の先にいたのはナゾノクサ。アオイの手持ちポケモンだ。ゆったりと日差しを浴びる葉と、草ポケモン特有の花のような甘い香りが、記憶の蓋を開ける。

「……アオイ、時間あるか? ポケモンセンターに寄りたいんだが」
「あぁ、構わない。私も今日はこの町のポケモンセンターに宿泊する予定だったんだ」
「なら丁度いいな。立ち話もなんだと思ってたんだ」

 二人とポケモン達とで連れ立って、センターへと歩き出す。何となく、思い出話をしたくなったのだ。子どもの頃のように簡単に「また明日」と言えなくなってしまった今を、確証のない「またな」で終わらすには惜しかった。

「俺の双子の妹のミツカって覚えてるか。小さい頃、ミツが風邪引いたとき、お前のとこの薬屋に世話になった」
「かなり昔のことだな。でも、覚えている」
「病院行っても原因分からなくて、しんどそうなミツをどうすることもできなくて……まだ子どもだったからな、もしかしたらもう治んないんじゃないかって怖くて」

 ゆっくりと歩みながら、蓋の開いた記憶を丁寧に手繰り寄せる。幼い頃から喫茶店の手伝いはしていたから料理や製菓はできた。でも病気のことなんて一つも分からなくて、当時はそれがとてつもなく重くて恐ろしいものに感じた思い出がある。ほんの少し情けなくも感じるそれを、懐かしさで包んで話の肴に調理していく。

「母さんと父さんがアオイの祖父さんと話してる間に、お前が薬の辞典か何か持ってきてくれたんだよな。子どもが抱えるほどデカい本でさ。それを開いて、ミツに出す薬を丁寧に教えてくれた。なんて名前の薬で、どんな成分があって、どういう病気に効くのか……。正直よく理解はできなかったけど、アオイの話聞いてるうちに『ミツは治るんだ』って思えてきて。……ミツだけじゃなくて、俺も助けてくれたんだよ、アオイは」
「……そうか。拙い知識や説明だったと思うが、それがミヅキさんの助けになったなら良かった」
 
 そう答えてふっと柔らかくなったアオイの雰囲気に、懐かしさが込み上げる。その出来事があって以来、俺は時折、店の仕事を手伝うアオイに作った料理を差し入れに行ったり薬草摘みを一緒にするようになったんだっけ。アオイにも双子のきょうだいがいて、俺と立場が似てるところがあるのも、話しかけやすい理由の一つだった。
 思い出話をぱらぱらと咲かせているうちに、目的地のポケモンセンターにたどり着く。小ぢんまりとはしているが、その分、泊まる人やポケモンが不自由しないよう細やかな気遣いの行き届いた温かいセンターだ。

「旅暮らしじゃなかなか腹いっぱい食えないだろ。すいません、キッチン借りてもいいですか」
「え? そんな、今日買ったのはミヅキさんの店の食材では」
「お前一人に飯作るくらいどうってことない量だっての。さ、飯代に今度はアオイの話聞かせてくれ」

 ジョーイさんとラッキーが宿泊設備のあるエリアに備え付けられたキッチンまで案内してくれた。三口のIHコンロ、清潔なシンク、人間用だけでなくポケモン用の皿。包丁やフライパンを使いたい旨を伝えたら、ジョーイさんが気を利かせて「道具利用申請はこちらで書いておきますね」と言って調理用具一式を取り出してくれた。ありがたい。

「さて、こっちの準備は整った。アオイ、今ポケモン何体連れてる?」
「四体。フクジュ、ヒナゲシは……センターのポケモンと遊んでるみたいだ。ボールの中にアオガラスのツユクサとヒトツキのリンドウがいる」
「連れが増えたな。店の仕事ばっかりだったお前の旅路でどんな出来事があったか、気になるな」

 随分と個性的ではあるが、どこかアオイらしいメンツの揃い方をしている気がして、少しだけ頬が緩む。アオイは食器の用意をしながらこれまでの旅路を振り返ってくれた。それはレポートを一ページずつ捲るように。
 アオイの語る話は、どれも温かい人とポケモンとの出会いの話だった。ドラマチックな物語のような一夏の冒険、コランダで催される華々しい祭りに、巡りゆく季節を共に過ごす仲間との時間。そのひとつひとつが歩みとなってアオイを進ませている。アオイが語った「瞬きもできないような光」という表現や「放っておけない」と語られた人物のことが印象的だった。きっと、見ず知らずの子どもだった俺にすら心を砕いてくれるアオイのことだ。旅の中で出会った人達との思い出は俺が思うよりずっと鮮やかにアオイの心を動かしているのだろう。羨ましい、と。眩しい、と。少しだけ思う。

「そういう奴だよなぁ、アオイは」
「? どういうことだ?」
「気にするな。なんというか、進化するのはポケモンだけじゃないなって」

 話している間に角切りにしておいた玉ねぎと人参を、サラダ油を敷いたフライパンで炒める。マメミートとピーマンも下ごしらえが済んでいるが入れるのはもう少し後。火加減は中火。IHは火加減が見えなくて調節が難しいから、玉ねぎの色味と人参の香りに気を配る。熱しているうちにジュウジュウと音を立てながら野菜に火が通っていくと、何となく「いつもの」感覚が手に馴染んでくるようだった。
 使い終わった調理器具を洗ってくれるアオイの後ろから、いつの間にかボールから出ていたツユクサとリンドウがこちらの様子をそっと伺っている。特にツユクサは緊張しているのだろう、こちらに興味があるというよりかは俺がアオイに何をしようとしているのかが気になっているようだ。それに気付いたアオイが「大丈夫」と声を掛けると、ツユクサはクルル、と一声鳴いてキッチンの窓辺にある止まり木に落ち着いた。

「そろそろ米が炊けたと思う。アオイ、持ってきてくれ」
「分かった。このくらいでいいだろうか」
「あぁ、助かる」

 玉ねぎが透き通ってきたのを合図に、マメミート、ピーマンの順でさらにフライパンで火を通していく。それから炊きたてのご飯が冷めないうちに、具材が均等に混ざり合うようほぐしながらさらに炒める。それから最後の仕上げ。コンソメとガラルのカレー粉、塩コショウを加えて味を整える。コハク堂特製、カレーピラフの出来上がりだ。辛い味付けが苦手な人やポケモンでも食べられるように、カレー粉は刺激より奥行きのある香りを重視したものを使い、人参の甘みでまろやかに仕上げている。店で出すときは香り付けの隠し味にフルーツチャツネかリンゴジャムを加えているが、さすがに今は持ち合わせがない。次こそは完璧なカレーピラフを出してやりたい。次、こそは。

「できた。アオイ、フクジュとヒナゲシを……って、なんだ、もう戻ってたのか」
「匂いに釣られたんだろうな。盛り付けていこうか」
「あぁ。アオイの手持ちのいつも食べる分、取り分けてくれ」

 香ばしいスパイスと、ほんのり柔らかく甘い野菜の匂いが温かく部屋に満ちている。料理が出来上がった後のこの空間が、俺は好きだ。ちゃんと計算した通りに味付けは仕上がっているか、個性の違うポケモン達がみんな満足できる味わいになっているか、そして――食べてくれた人やポケモン達が笑ってくれているか。……あぁ、なんだ。俺もアオイも同じなんだな、「笑ってほしい」って。アオイはきっと目の前にいる誰かで……俺は、ミツに。やっぱり、最初から俺がアオイを放っておける理由なんて一つも無かったんだ。スマホロトムを呼び出す。

「アオイ」
「ん、どうかしたか」
「これからも旅の話、聞かせろ。安否確認。そんで……会えそうだったらまた俺がこうしてお前に飯作る」
「ミヅキさん」
「――断るなよ。そのくらいさせろ。あとSNSとか多分お前よく分からないだろうけど、うちの店も登録してるから思い出したときにでも見とけ」

 フライパンに余ったカレーピラフをラップで包んでひとつひとつおにぎりにしていく。この優しい青色が、俯くことも曇ることも無いように。祈りを込めて。